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株式会社人活工房 代表 小笠原健 人活工房のナカミ。

第一回「人間、小笠原健の告白。」

2024/09/18
episode 1

ボーッとした少年、少林寺拳法で覚醒する。

少年時代の僕は、星空をひたすら眺めているのが
好きなボーッとした子どもでした。
UFOや超能力や超常現象も好きでしたね。
そんな僕に転機が訪れたのが、中3の頃のこと。
大勢の不良にからまれてボコボコにされそうなことがあったんです。
「これは強くならないと大切な人も守れない…」
と習い始めたのが「少林寺拳法」でした。

拳法というくらいですから、「格闘技を学ぶもの」と思われがちなのですが、
じつは、「金剛禅」という自己確立や自他共栄などの教えを拳法と共に叩き込むんです。
黒帯を取るには、座学で「人生とは?」「人とは?」といった講習を受けて
論文を書かせるほど、徹底ぶりです。ちょうど、自我ができてくる十代の半ばのこと。
自分をつくる信念のようなものが欲しかった僕は、すっかりのめり込みました。

その後、大学時代には有馬正能という大学監督の大先生に出逢います。
この先生が、ものすごい達人でして…
他武道との試合もやれば、本来ウチの拳法ではやらないバット折りなんかもやる。
若い頃は、実践の修行として本職のやくざと喧嘩に明け暮れ
それこそ、ドスで刺されたり、ビール瓶で頭を割られるような修羅場を
何度もくぐり抜けてきたという人。そんな先生に僕は心酔していきました。

よく言われたのが、「どうせ持つなら大きな夢を持て」ということ。
心の中で金平糖を大きくしろ…つまりトンガったままで大きくするんだ、
小さく丸くなるな、ということでした。

教えに従い行動するうちに3回生で主将を拝命。
ですが当時、人前に立って話すことは大の苦手でした。
言葉に詰まれば「お前ら…わかるやろ!」と訓示を終わらせるような男でした。
それが今では、人前で話すことを仕事にしているのですから、人生わからないものです。
有馬先生には、今でも師事しており僕の人としてのベースには、
少林寺拳法の教えが確かに息づいています。
episode 2

あの頃は、数字がモチベーションだった。

卒業後、リクルートへ入社。
営業として毎日夜の12時、1時まで働き
土日も関係なく、仕事ばかりしていました。
それが当たり前で、不思議と苦痛にも感じなかったんです。
おかげで営業成績はよく、1年目は新人賞をとりました。

目標達成できない時は「達成するまで帰ってくるな!」なんて上司に言われて
どうにか契約をもらおうと取引先の会社の社長が会ってくれるまで
何日も玄関で粘ったこともありました。
「きみ、こういうのは困るよ!」と言いつつも、
最終的には根負けしてハンコを下さる人情に厚い社長がいて、
そうやって苦労して受注して帰社した僕を
同じフロアの50人くらいが拍手で出迎えてくれた。
古き良き時代だったと思います。

その後、当時、黎明期だった「通信業界で代理店をやらないか」と
誘われてリクルートから独立。
すでに妻も子もある身でしたから「食べていかなきゃ!」と必死でした。
そうして、いつしか僕は販売インセンティブを追い求め、
お金をモチベーションに動く人間になっていました。
仕事としてどこか、物足りない、満たされない。
でも目の前の仕事のためには、ひた走るしかない。そんな日々でした。

そうやって10年ほどの歳月が流れ、40歳手前の頃。
売上が落ち始めた。仲間に裏切られた。
僕は、立ち止まって将来を考えざるを得ない状況に見舞われました。
そんな時、とある知り合いの経営者から言われたんです。
「知覧に行ってみたら?」と。
…振り返れば、これが、僕に新しい道へ挑む大きな転換点となりました。
episode 3

数字ではなく、誰かのためにどんな貢献ができるかを追いかけよう!

知覧特攻平和会館。
第二次世界大戦の頃、沖縄決戦で編成された特攻隊の
資料や遺品が展示されている場所です。

強烈でした。各ブースに展示された遺書、手紙などを
じっくり時間をかけて読んで回りました。
人のため、家族のため、後の日本のため、
それぞれの想いを背負い、無私で十死零生の作戦に身を投じる。
本気で生きていた彼らの想いに触れ、涙がボトボトとこぼれました。

自分は何をしてきたんだろう、と
そして決意しました。
これからは、悔いのない生き方をしよう。
もう数字を追うのではなく、誰かのためにどんな貢献ができるかを追いかけよう、と。

とはいえ自分に何ができるのか…
振り返ると僕は、代理店を営む上で組織の作り方、人の育成などは、
自分なりに勉強し、実践してきた自負はありました。
でもあの頃は、お金を稼ぎ数字を追うために学んでいた。
これからは、誰かの役に立つ為に学ぼう。こうして僕はアンテナを張り、
人材・リーダーシップのセミナーなど次々と受講し、むさぼるように学んでいきました。

そして、世界で最も活用されているMBTIや
ビジネスコーチング、NLP(神経言語プログラム)という
心理学を用いたコーチングなどをマスターし、
コンサルティングファームで外部の研修講師として活動するようになったのです。
episode 4

必要とあらば、プログラムは毎回カスタマイズする。

コンサルティングファームでの講師としての活動は
しっかり練り上げられたプログラムもあり、充実していました。
ですが、僕としてはまだ不完全燃焼でした。
なぜなら、あくまで決まったプログラムに沿って進めることが主流で
そこから外れた人や「届いていないな…」という方のサポートまではやり切れない…
外部講師という立場では、勝手なこともできない。
そこで独自のプログラムを自分で立ち上げることにしたのです。
そうして、10数年ブラッシュアップしてきたのが、
今の「チーム」や「管理職」向けのプログラムです。

会社ごと、チームごとに課題は異なるもの。
限られた研修の時間だけで終わるのではなく、
現場にも入って、研修で学んだことが実践されているかを見届けます。
その結果、「届いてない…」、「もっと別のサポートも必要」と感じれば
どんどんプログラムをアップデートします。

もし僕が、既に持っているノウハウでの解決が難しければ
新たな知識やノウハウを求め、論文や事例を読み漁り、
専門家の集まるセッションにも参加。新たに研修用の資料をオリジナルでつくる。
たとえ既にテキストを用意し、作り終えていても
そうやって適宜、現状にあわせチューニングし直していくのが
基本スタンスとなりました。

ビジネスとして考えれば、決まったプログラムを運用していく方が効率はいい。
ですが僕がやりたいのは「本当に誰かの役に立てた」と思える仕事をすること。

喜ばれたい、実感できる変化を届けたい。
孤独になりがちな経営者のそばにしっかり寄り沿って、その前進を支えたい。
そして、経営者が一人で奮闘するのではなく、
チーム全員が前を向いて歩き出せるような体制をつくりたい。

そのためなら、時には効率は度外視してでも
目の前のクライアントに情熱を注いでしかるべき、と思うのです。
episode 5

日本を学び、強くなる。

オリジナルのプログラムを実践していく一方で
少林寺拳法の師匠、有馬先生からの学びは続いていました。
その中で先生が提唱されていたのが、
「日本の誇りを取り戻すべく歴史を学ぼう」ということ。
武士道に触れ、山岡鉄舟、西郷隆盛、出光佐三…
過去の偉人たちの生き方、在り方への学びを深めていきました。

そうして気づいたのは、欧米のコーチング理論の
ベースとなるものを日本人が生まれながらに持っているということ。
誠実で親切で人の和を大切にしたり、天がみているからと悪いことをしなかったり…
世界では、利己的な個人主義が当たり前ですが、
日本では人を思いやる公の精神・文化を心のどこかにしっかり受け継いでいるんです。
そしてそれこそが、「コーチ」となる者に大切な在り方なのです。

他にも、近年話題になる欧米の経営やマネジメント手法を紐解けば、
「日本人が昔から当たり前にやってきたことだ」ということも実に多いのです。

日本ならではの美徳を自覚し、
欧米のノウハウをうまく融合させていけば、
たとえば少人数でも、驚くほどのハイパフォーマンスを発揮できる。
そして、世界が脅威に感じるほどの強いチームが創れる。

最近は、こんな想いを持って
一般社団法人ジャパンウエイ・リーダーシップ協会という団体も創設。
この先もまだまだ色んな角度から、学びを深め
人のお役に立てる人間になれるよう僕自身が成長していかねば
と決意を新たにしています。
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